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名景・名歌
三崎八勝
11世紀に北宋で描かれた山水画の伝統的画題「瀟湘八景」になぞらえて、寺家周辺の風光明媚な地、「三崎八勝」というものが選定されています。これは少なくとも、明治8年には一般に認知されていたといいます。
《御崎》で生まれた詩歌
風光明媚な寺家の地を歌に詠んだ人たちがいました。ここではその一部を紹介したいと思います。
《須須神社献詠》
◆弁慶:都より 波の夜昼 うかれきて 道遠くして 憂目みる哉
◆義経返歌:憂目をば 藻塩と共に かき流し 悦びとなる 鈴の御岬は
◆前田利家
判官殿 この笛を この須須の社に 捧げ給へるとなん
在りし世の そのあらましを 聞くからに 袖さえ濡れて 音にそ泣かるる
◆村上元三
義経は 雪に消えたり 須須の笛
◆千田一路
行く雁や 北の海守る 須須の神
《珠洲岬》
◆顕昭『夫木和歌抄(26巻雑8)』承元三年(1209)
幾連ぞ 珠洲の御崎を 振り捨てて 越なる里へ 急ぐ雁金
◆世阿弥元清『金島書』永享五年(1433)
能登の名に 負ふ国つ神 珠洲の岬や 七島の……
◆太田頼資『能登名跡誌』安永6年(1777)
《塩津》
磯岩の 端に腰をして 涼しさや 船の行衛も 見えぬまで
《三崎の雀踊り》(翠雲寺二十三夜として残っている)
豊年や 踊忘れぬ すずめども
十年後、再び訪れて。
蛤になる 分別もなき 稲雀
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