安政4年(1857)の時点で、
寺家の百姓は134軒であった。
村高666石
内、十石以上の高持ち百姓
17軒(12.6%)
十石から一石までの自作兼小作百姓
47軒(35.0%)
一石(一反歩10アール)以下の小作百姓
70軒(52.2%)
なんと17軒(12.6%)に過ぎない高持ち百姓が、
446石、全体の66.9%もの田畑を所有していた。
その一方、一石以下の百姓が、半数を超えていた。
この当時(164年前)、
既にキリコ祭りは、行われていたといわれている。
ただ、揉め事は、少なかっただろう。
格差があり過ぎると、ケンカにならない。
「平等」であるが故に、対立が起こる。
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